私の人生とジャニーズ。



3回目のはてなブログ更新をしにきました〜

そもそも誰か読んでる人がいるのだろうか。

そこは自己満足ということで本日は私の人生とジャニーズという題名で書いてみる。(謎に題をつける。



本題に行く前に私の基本スペックを紹介しておく。


2000年生まれ。4姉妹の末っ子。

気づけばジャニヲタとして8年目くらいになっていた18歳。年々掛け持ちになる。おかげでいつでも金欠。

3月にJKという最強ブランドが消え絶賛保育系短大に通い始めている。




そもそも私の人生にジャニーズという存在が現れたのはいつだろうと考えるとおそらく幼稚園の頃だ。その頃は修二と彰青春アミーゴが大流行していて幼稚園でも何故か踊った記憶がある。因みに私は野ブタ。をプロデュースは一度も見たことがないし山Pと亀梨くんの顔なんて全く知らなかったであろう。花より男子が同時期にやっていたと思うと恐ろしい時代である。今、思い出してみたらYa-Ya-yah世界がひとつになるまでも今月の歌みたいなので歌っていた。ここで見ると私の人生で一番最初に出会っていたジャニーズは山Pと亀梨くんそしてYa-Ya-yahのメンバーらしい。



実を言うと私は小学校3年生くらいまで、今や国民的アイドルの嵐を知らなかった。当時周りの友達は結構知っていたと思うが、私は基本8時頃就寝していたので夜はドラマやTVは殆ど見ていなかったのからだと思う。そんなこんなでジャニーズとはあまり関わりのない人生を送っている小学生だと思われるが、ここでまたジャニーズと関わる瞬間が出てくる。次に私の人生に現れたジャニーズはHey! Say! JUMPだ。何故か家にはJUMP NO.1のCDがあり家ではしょっちゅう流れていた。(後に2番目の姉の物だったと知る。)多分それでだが未だにJUMP NO.1に入っている曲は大体歌える。そして左目探偵EYEにより瞳のスクリーンが学校では流行っていた。私はこの辺からドラマも少しずつ見るようになったが殺人ドラマとかは怖くて見れなかったので左目探偵EYEは見ていなかった。因みにその年にやっていた怪物くんはしっかり毎週見ていた。



そして私がジャニーズにハマるきっかけを作るのは小学5年生のクラス替えである。クラス替えをし部活が一緒だったMちゃんと仲良くなった。Mちゃんは櫻井翔くんと中島健人くん担だった。そしてもう1人仲良くなったAちゃんという子がいた。Aちゃんは山田涼介くん担だった。この時点でもう私がジャニーズハマるのは決まっていたようなものなのだが、山田担のAちゃんという子はかなりのヲタクだった。授業中にまだジャニーズに全く興味のなかった私は何故かAちゃんにジャニーズJrからデビュー組まで色んな人の名前を紙に漢字で書くという謎の教えをやらされていた。この頃はチンプンカンプンで書いていたが思い出せる限りでは今のSixTONESのメンバーの名前なども書かされていたのだ。


そして遂に事件は起きた。

ある日、MちゃんとAちゃんから手紙を渡された。中を見るとHey! Say! JUMPの旧メンバー森本龍太郎くんのキーホルダーが入っていた。そして手紙には彼のファンになってと言った内容が記されていた。今考えると無茶苦茶すぎる話ではあるがその頃の私は言われた通り彼のファンになろうとした。筆箱にキーホルダーをつけ1日で彼のプロフィールを覚え何故か小テストまでされ因みに合格点だったらしい。こういった形でジャニーズのファンになり始めた私だったが森本龍太郎くんの担当はあっという間に終わってしまう。知っている方は知っていると思うが彼が無期限活動休止になってしまったからだ。当時の私はそこまでのファンと呼べるレベルにも達していたかわからないレベルだったのであまり悲しみとかはなかったがHey! Say! JUMP森本龍太郎くんのファンの皆さんは相当辛かったのかなと思う。


ここでまたジャニーズとは無縁に生きる人生になるかと思いきや今度は自ら好きになってしまった人ができた。はい。それが私の現在進行形で続く自担さま玉森裕太くんでございます。丁度、美男ですねが放送される前で結構見る機会が増えていて友達に玉ちゃん好きになっちゃったの~?って言われてそこから私の人生が変わっていく。(中々大袈裟)ただ小学生の私にはファンという感覚はよくわからなかったしCDを買うという発想にも至らなかったため小学生の頃はただ玉森くんが好きという感じだった。駄菓子屋で20円くらいで引けるカードはよく引いてた。(笑)

そんな私は玉森裕太くんのファンになったまま無事小学校を卒業しました。


そして晴れて中学生になるわけですがここが人生で1番ヲタクしてたんじゃないかと思います。思いのほか長くなってしまったので第2弾にいきます。。